2017年12月11日月曜日

コマツ 安崎元社長「感謝の気持伝える会」@ANAインターコンチホテル

末期がん公表 コマツ 安崎元社長「感謝の気持伝える会」開催
12月11日 17時25分
末期のがんと診断されたことなどを公表した大手建設機械メーカー「コマツ」の安崎暁元社長が、これまでの感謝の気持ちを伝える会を開き、出席者からは、みずからの生き方も考えさせられる機会になったといった声が出されました。
大手建設機械メーカー「コマツ」の安崎暁元社長は、先月20日付けの新聞広告で、末期のがんと診断されたことなどを公表しました。

安崎さんは、元気なうちに感謝の気持ちを伝えたいと11日、東京・港区のホテルで「感謝の会」を開き、会社の関係者や同級生などおよそ1000人が集まりました。安崎さんによりますと、
会場には親交がある人たちとの思い出の写真を飾り、一人一人と言葉を交わし握手したということです。また会場では、安崎さんの出身地、徳島県にちなんで阿波踊りも披露されたということです。

「コマツ」の元社員の男性は「とても楽しい会でした。私も病気があるので、自分自身の生き方についても改めて考えさせられました」と話していたほか、
高校の同級生の女性は「とても潔い生き方で、安崎さんらしいと思いました。逆に感謝の気持ちを伝えました」と話していました。

安崎さんは、会のあと記者会見し「『終活』の考え方は一人一人違うと思うが、しめっぽいのは嫌なので、楽しんでもらおうとこの会を開いた。
多くの人に来ていただき、正直少しくたびれたが、直接感謝の気持ちを伝えることができて満足しています」と話していました。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20171211/k10011254561000.html





安崎 暁(あんざき さとる、1937年3月3日 - )は、日本実業家小松製作所代表取締役社長や、日本建設機械工業会会長、国家公安委員会委員などを務めた。
1937年に陸軍大学校学生安崎操(のちに陸軍中佐第6方面軍参謀や、自衛隊陸将東北方面総監を歴任)の長男として、徳島県吉野川市鴨島町で生まれ育つ[1]。1959年3月一橋大学社会学部卒業。中国経済史専攻。1961年3月一橋大学経済学部を卒業。理論経済学専攻[2]。大学時代は小笠原流弓道部に所属[3]
1961年4月小松製作所入社。同社では主に国際部門を担当し、海外事業展開を進めた[4]。貿易研修センター一期生[5]。また1982年には野村ビジネススクールにも参加し、同スクール同期のKDD元社長の西本正、元セコム会長の杉町寿孝、元三和総合研究所理事長の原田和明、元財務官榊原英資、元三菱商事取締役の武部晃二、元日本貿易保険理事長の今野秀洋、元WOWOW会長の佐久間曻二とは、その後も「八人の会」として交流が続いた[6]
1995年小松製作所社長に就任。土木建設などの不採算事業からの撤退を行う一方、エレクトロニクス事業を建機と並ぶ経営の柱に育成した。また建機不況の中、投資を続け、ITを用いた生産や在庫を最適化する基幹システムを構築し、その後の会社の発展の基盤を作った[7]
1998年11月、藍綬褒章受章。2012年5月、旭日重光章受章。

趣味はゴルフや、妻とチェスをすること[8]。一男二女で横浜市在住[9]












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