2017年7月20日木曜日

台湾 故宮博物院の分院に展示の江戸時代の伊万里焼「染付柳鳥文皿」が破損

 大阪市は19日、同市立東洋陶磁美術館から台湾にある故宮博物院の分院「故宮南院」に展示のため貸し出している江戸時代の伊万里焼「染付柳鳥文皿」が破損したと発表した。原因は不明だが、人為的に破壊されたものではないとしている。
台湾の故宮博物院の分院「故宮南院」で展示中に破損した、大阪市立東洋陶磁

市によると、割れた皿は文化財指定を受けておらず、220万円相当。2015年12月から貸し出し、ガラスケースの中に展示されていた。学芸員を派遣し確認したが、湿度や温度などの展示環境は規定通りだったという。

故宮博物院が18日朝に破損を発見し、東洋陶磁美術館に連絡した。
http://www.sankei.com/photo/story/news/170719/sty1707190018-n1.html









大阪市立東洋陶磁美術館(おおさかしりつとうようとうじびじゅつかん)は、大阪府大阪市北区中之島一丁目にある美術館住友グループから寄贈された安宅コレクション(あたか - )と呼ばれる東洋陶磁コレクションを核として1982年(昭和57年)に設立。館長は出川哲朗

高麗朝鮮時代の朝鮮陶磁、中国陶磁を中心に国宝 2件、国の重要文化財 13件を含む約4000点が収蔵されている。この珠玉のコレクションは、安宅コレクションを中心に、他のコレクションからの寄贈や購入を加えて、徐々にその数を増していったものである。
安宅コレクションは、1977年(昭和52年)に経営破綻した大手総合商社安宅産業株式会社および創業家二代目の安宅会長が収集したものである。発端は、1951年(昭和26年)安宅産業の取締役会で、企業利益の社会還元と社員教養の向上のため、美術品収集を会社事業の一環として行うことが正式に決議したことによる。この構想を練り、首脳陣に根回しして実現させたのが安宅である。安宅英一は社業の傍ら東洋陶磁のコレクション形成に心血を注ぎ、他のコレクターの名品も次々とここに収集していった。その総額は二十数年間で七十数億円にも上る。そのため特に初期には、世間から金にあかせて買いまくっているという批判も強かったが、実際には異なる。あくまで会社のコレクションのため、購入には月々の購入限度額が決まっており、会社の了解を取らねばならなかった。名品が出てきた時には資金を1年先、2年先まで先食いしていたのが実際の所で、これが改善されたのは会社の景気が良くなった昭和40年代後半頃だという[1]
安宅産業は1977年(昭和52年)10月1日に伊藤忠商事に吸収合併され、伊藤忠商事が引き受けない残存財産のうち、2000億円余りを住友銀行(現三井住友銀行)を含め16行で吸収合併前日に一斉償却し、残る約3000億円は受け皿会社エーシー産業1977年(昭和52年)4月に設立し、東洋陶磁コレクションも引き継がれた。しかし貴重で体系的なコレクションの散逸を惜しむ各方面の意見により、1980年(昭和55年)3月に住銀頭取磯田一郎は公共機関に寄托することが最もふさわしいと判断し、大阪市への寄贈を決めた。大阪市の負担を回避するために、住友銀行を中心とした住友グループ21社の協力のもと、965件、約1000点の買い取り資金が1982年(昭和57年)3月までの2年間に、総額152億円を大阪市の文化振興基金に寄付し[2]、その寄付金で大阪市が買い取ることにした。美術館の建築資金18億円は、基金への寄付金の積み立てに伴う運用利息で賄った[3]
詳しい経緯は、安宅英一の側近で初代館長の伊藤郁太郎が、『美の猟犬 安宅コレクション余聞』(日本経済新聞出版社2007年)で回想している。伊藤によると、安宅は経営危機でコレクションへの発言権を失っていく最中に、「会社のためなら、安宅コレクション一切を投げ出してもよいのですよ。それで会社が救われさえすれば…」と漏らしていたという。また、東洋陶磁美術館開館後に館を訪れた安宅に、伊藤が「あれほど一生延命お集めになったコレクションが、人出に渡ってしまって、さぞお口惜しいことでしょう。お気落としになっておられるでしょうね、と慰めて下さる方が多いです。」と言うと、安宅は「コレクションは、誰が持っていても同じでしょう」と答え、コレクションがどのような結末を迎えようが、コレクションとして続く限りその価値は変わらないという、安宅のコレクターとしての境地を示している[4]
寄贈された安宅コレクションは965件で、その内訳は以下のとおりであった[5]
  • 中国陶磁 144件(から43、33、68)
  • 朝鮮陶磁 793件(高麗陶磁304、朝鮮陶磁485)
  • その他 28件(ベトナム陶磁5、日本陶磁2、中国工芸5、朝鮮工芸10、日本工芸その他6)
朝鮮陶磁は数も多い上に作風も多様で、今日成し得るコレクションとしては歴史的変遷、陶芸技法による分類の上でもほぼ完全で、私的なコレクションとしては世界第一と言って良い。一方、中国陶磁については名品主義的で質は極めて高いが、代陶磁が1点もないなど陶磁史的には不完全である。また、展示公開は厳選主義で行っているため、安宅コレクションは名品ばかりと思われている面もあるが、実際にはあまり人に見せたくない作品も混じっているという。

1982年(昭和57年)に美術館の開館した後も、さらに複数のコレクターからの寄贈を受け、特に1999年(平成11年)には在日韓国人実業家李秉昌からの寄贈で、多くの朝鮮陶磁の名品が所蔵された。



site://tokumei10.blogspot.com 安宅産業







李 参平(り さんぺい、生年不詳 - 明暦元年8月11日1655年9月10日))は、 朝鮮出身の陶工で、有田焼伊万里焼)の生みの親として知られている。日本名は金ヶ江 三兵衛(かながえ さんべえ)。現在も直系の子孫が作陶活動などを行い、14代まで続いている。
なお「李参平」の名は、当時「三兵衛」を「参平」と表記した史料があること、金ヶ江家に伝わる古文書に李氏と記載があったことなどから、明治19年になって地元の蘭学者谷口藍田が名づけたものであり、参平が朝鮮で暮らしていたころのほんとうの姓名はわからない。

、、、(爆wwwwwwwwww


1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

育成に関して
「技術は見て盗め」
ってあるじゃないですか

あれってこの有田焼・伊万里焼近辺が由来・発祥だったりするのでは?と思うこの頃



言葉が通じない外国人から日本人が技術を習得するとしたら
見て盗むしかないじゃないですかw

んで最近で言えば、見て盗むが日本人のデフォになれば
“日本人に成りすました日本語カタコト外国人”が日本人より上の指導役になっても
喋らずに済むので成りすましがバレにくいじゃないですかw